婚約をした男女の場合は、恋愛の段階の男女とはかなり話が異なってくる。二人の間に契約に

準ずるようなものがある、とみなされる可能性があるのである。「婚約は何ら方式を必要としない

不要式行為である」とする判例があるのである(最判昭38・9・5民集17巻8号942頁)。

(法律に関する学説上は、「確実な合意で足りる」とする学説と「公然性が要求される」とする

学説があり、見解は割れているが、「学説」はともかくとして)実際の実務としては、婚約という

約束(契約、あるいは契約に準ずるもの)を破ると、それは法的に見ても問題がある

行為だとされる可能性があるわけである。(ただし、結納あるいは婚約指輪の交換をしていな

いと、法的に見ると確実とは言えないので、婚約を「あてにしよう」とする人はその点に要注意

である。)特に、結納や婚約指輪を交換していると、それは婚約が成立している証明となり、

結納や婚約指輪交換を行ったあとで、「浮気」を行い、その結果 婚約の不履行という事態になり、

それが問題として扱われるようになった場合においては、(法的に見ても、婚約が成立していると

いう証明があるわけなので)ほぼ確実に法的に問題として扱われることになる。裁判になれば、

金銭的な賠償を命じられる可能性は十分にある。

婚約段階で「浮気」をし結婚を拒絶すると、法的な意味での契約不履行と、「人の心」の

次元での約束を破っている、という二重の意味で「あざむき」ないし「裏切り」をしていることになる。

一般に、婚約段階までいった男女のどちらかが「浮気」をすると、浮気をされた相手には、一生

残るような深い深い心の傷(トラウマ)が残ることになる。(婚約までしておいて「浮気」をされる、

というような重大な裏切り行為をされておいて、それを忘れられるような人は、この世にはまずい

ない、と思ったほうが良い。やられた人は、それを一生の間に、何千回も何万回も繰り返し繰り

返し思い出す、と思ったほうがよい。それどころか、その人は、毎日毎日、寝ていても覚めてい

ても、裏切られたことを、どこか心の片隅で反芻しつづけながら生きてゆくことになる、と思った

ほうがよい。)婚約者から裏切られた人の多くは、しばしば心の深い傷が原因で、異性を信用

することができなくなり、結果として異性と交際したり結婚することがまったくできなくなってしまう。

つまり婚約者がいながら浮気をする、ということは、大抵の場合、その人の人生をひどく破壊して

しまうのである。(人はしばしば、配慮が足らず、ものごとを甘く見すぎて馬鹿なことをしてしまう

わけであるが)婚約をしておいてから、気の迷いが生じ、浮気をする/しない という分かれ道に

いると感じる人は、自身の 心のありかたや 行いが、婚約者のその後の長い人生にどれほど

深刻なダメージを与えてしまうことになるのか、あらかじめ 思い描き、誰かの人生を破壊してし

まった場合、果たして そんな身勝手なことをしておきながら、道義的に赦されて、自分だけは

都合よく幸せに生きていけるほどに人間社会というものは甘くできているのだろうか?

と、よくよく熟考してみる必要があるのである。裁判で法的に扱われ、金銭的な賠償だけで済

めば、まだよいほうである。「人の心」の次元で、人をひどく裏切れば、相手がよほど「できた人」

(耐える人、我慢する人)でなければ強く恨むことになり、程度がひどければ殺意などを持つこと

になり、そうなれば刃傷沙汰になることもある。実際、殺されてしまった人もそれなりの数いる。

裏切られた側の親が、浮気をした者を殺してしまった事例もある。